植物にとっての必須栄養素は環境の中で食物連鎖によって循環している

植物にとっての必須栄養素は、天然の環境であれば食物連鎖と共に循環するため土の中で欠乏することはめったにありません。農業の場合は、人がその環境から作物を持ち出してしまうため、土にその分お返しをしなければいけないと考え、「肥料」を撒いてきました。

ごく当たり前の話なんですけれども、今日はちょと細かく見ていきましょう。

天然の環境では腐植化・無機化・有機化のサイクルが回り続ける

まず、ある天然の環境を考えてみたいと思います。多様な植物が生長し実を結び、熟して地面に落ちると、その木の実を大きな有機物と見なすことができます。

その大きな有機物をさまざまな動物が食べて、生きて、排泄しています。彼らの糞尿は中くらいの有機物です。中くらいというのは、分子がより単純になり、より小さくなっているということです。土の中の生き物はその中くらいの有機物を食べて、生きて、排泄すると、より小さな有機物になって出てきます。これが腐植化です。

そして、また別の生き物がこの小さな有機物を食べて、生きて、排泄すると、無機物にまで小さくなる。これが無機化です。この無機物が水に溶けると、植物の根から栄養素として吸い上げられます。こうして植物は無機物を体の中で炭素と結びつけ有機化することで充実し、光合成してさらに生長して再び実を結びます。

また、動物も植物も命を全うすれば、その遺骸をさまざまな生き物が食べて生きて排泄して、またさらに別の生き物の栄養となる、腐植化・無機化・有機化のサイクルが回り続けます。

腐植化・無機化・有機化のサイクルが延々と続く。

もし、この場所で木の実を大量に食べた小鳥が遠くへ飛んでいって死んだとしても、遠くで満腹になった鳥がここに飛んできて死ぬ可能性がある。つまり飛んでいっちゃった鳥は、ここの土には戻ってこないけれど、飛んできた鳥はここで死んでここの土で腐植化・無機化される。そんな緩いプラスマイナスが、おおよそ一定する状態が保たれます。このように天然の環境では、さまざまな物質が食物連鎖として循環していると言えます。

 

人間が農業をすると食物連鎖の循環が途切れる

ところが、ここで人間が農業をするとどうでしょうか。作物とは土の中の成分を吸収して生長した植物ですが、私たちはこれを収穫し全部運び出してしまいます。そして美味しく食べたり飲んだりして代謝しても、現代の人間が排泄するのは下水処理場へ繋がるトイレで、100%の便や尿がこの土に戻ってこないのが現状です。(下水汚泥から肥料を作る取り組みが始まっています)

さらに、私たちは命を全うしてもお墓に埋葬されてしまうので、遺骸もこの土には戻ってきません。私たちの体は腐植化も無機化もされない、他の生き物の栄養にならないんですよね。現代の人間が農業を行うと食物連鎖の循環が途切れます。もちろん、埋葬は宗教観を含めた命の倫理や、伝染病を防ぐ目的があるので重要なシステムですが、なんだか、自分を1頭の動物として見ると、お墓って不思議です。

 

食物連鎖は途切れても、肥料を与えて農業を続ける

「このまま植物にとっての必須栄養素が土に戻ってこないまま栽培と収穫を続けると、作物がうまく育たなくなったり収穫量が減ってしまう」と農地を解釈する考え方が主流です。

だから畑からいただいた収穫の分だけ、土に植物の必須栄養素をお返しする、つまり肥料を与えるわけですよね。そして、その肥料にはさまざまな種類があります。

江戸時代の循環型農業

江戸時代は町に野菜を売りにきた農家が、江戸城や町人の糞尿を大量の野菜と交換して帰って発酵させて畑へ撒いていました。それだけ糞尿に価値を置いていたということがわかります。また、生活の中で出る私たちがゴミと呼ぶようなものも全て土に戻して、最大限に物質が循環する農業をおこなっていました。さすがに人の遺体はお墓へ行ったと思いますが。

リサイクルだけでは足りなくなってしまう場合は、山からは落ち葉や、海からはイワシやニシンを大量に醗酵させて肥料としていました。北海道をまだ今のような農地にする前の日本の国土で、3千万人を養っていた当時の循環型農業は、農業を学んでいる人の間では世界的にも有名です。

こちらが音声版『宇宙ワイン』です。