7. 原因と結果

収穫よりも、剪定の方が楽しみっっ(・`ω・´)

突如なーにを言い出したかというと・・
書きたいことは、ぶどう果粒は結果である。ということだ。

果実を結ぶと書いて結果。
そしてそう、原因と結果としての結果でもある。

結果としてのぶどう果粒

まずすべての源、場所がある。その場所には土地があり、毎年異なる天候がもたらされている。ある日そこにぶどう樹が植えられ、働き手が樹や土に対して数々の仕事を施す。

ぶどうはそれらの結果だ。その畑で健康に生きる樹こそが、その畑のテロワールをワインとして表現できるぶどうを恵んでくれる

だからぶどう房や果粒よりも、樹の生長に働き手の考えや気持ちが集中してくる。

ぶどう樹の枝も、もう1つの結果

秋の終わりに、少し強い雨がまとまって降った。葉っぱが落ちたから、畑に枝を見に行こう。日曜の昼に、一番好きなワインの畑を散歩する。

今年の春に発芽し、新梢となりぶどう房を恵んでくれた枝に注目する。

前回の剪定のときに、この畑の樹には充分な太さの枝を見つけられなかった。樹が非常に疲れていた。疲れきっていた。

 

生長期に充分な太さになった新梢と細い新梢の比較

左は細すぎる枝 右が理想的な枝

ぶどう畑の仕事と結果

だから、今回の収穫でぶどうを恵んでもらうことは考えず、春の発芽でいい位置に、いい枝を恵んでもらうことだけを念頭に剪定した。

もちろんこの時、できる限りの収穫量を得るための剪定もできる。または、もうこの古木たちを諦めて、すべてを掘り返し、まっさらな土地にし、新しくぶどう樹を植えるという選択もありえる。
でもそうしなかった。

その日曜日わたしたちが見たのは、充分な芽をもって充分に太った、今年の枝。わーーーーーーーーーーーーーーーん。(犬じゃない。)
美しい。

働き手の、ぶどう樹の生理に対する知識と経験、樹を観察し判断する力、そして意志の強さがぶどう樹を回復させ健康に年をとる助けとなることを知った。

職人たちが何を考えているのか、具体的な方法などは剪定のページでたっぷりご紹介する。