ヴァン・ナチュールを「天然に近づけようとしている」ワインという意味で理解して、もっと天然に近いワイン作りをしたい、飲みたいと思って実践している生産者のワインがあります。これは前回とは別の「自然」の解釈です。今回は、言葉があるからこそ、その要素の純度がものすごく高まったワインを見ていきたいと思います。
抽象的な哲学を具体的な技術に落とし込む
それはどんな作り方のワインなのかというと、「人為的介入をしない」や「自然に近づける」という抽象的な表現を、具体的なことに落とし込んでいく「1つ1つの仕事をする・しない」や「この農薬やこの調合剤を撒く・撒かない」という1つ1つの選択になってきます。
こうして、その生産者の「自然なワイン」についての哲学・抽象的な考えが、具体的な技術に落とし込まれていきます。そして、それが年を重ねていくことによってぶどう畑に融合して研ぎ澄まされていく。結果的に、その畑でしか、その人でしかできないワインになっていきます。つまり、その土地でなんとなく作ってるのではなくて、哲学があるから、言葉があるからこそその要素の純度がものすごく高まったワインができるんですよね。すごく面白いと思います。
でもよくよく考えてみると、ワインの歴史の中で、こんなふうに言葉から生まれるワインというのがよく出現していることに気づきます。それは「テロワールを表現したワイン」とか、ブルゴーニュでは「赤ワイン」も実は言葉から生まれたワインです。
赤ワイン以前の色づきワイン
そもそも、ブルゴーニュに赤ワインは存在しませんでした。ワイン作り自体は、今からだいたい2000年前にジュリアス・シーザーによって持ち込まれたんですが、それから10世紀ごろまで何百年にも渡って作られていたワインは、最も色づいたワインであってもちょっと濃いロゼワイン程度でした。その色のことを昔はclaretクラレ(clairetでなくclaretです)と呼んでいたようです。
ブルゴーニュに赤ワインが存在しなかった理由は2つ
1つは、白ぶどうと黒ぶどうを同じ区画の中で一緒に植えて、醸造も一緒に行っていたからです。混植かつ混醸ですね。ピノ・ノワールを使うと質のいいワインができると知られていたけれど、ピノ・ノワールだけだと収穫量が少なすぎるから、一本の樹から大量の収穫が得られるグーエ・ブランなどのさまざまなセパージュが植えられていました。つまり、品質だけでなく量も求められていたからこのような栽培になっていたということです。
2つ目の理由は、醸造の技術であるマセラシオンをしない作り方だったからです。醸造用の黒ぶどうの多くは、果皮に色素があるけど果汁には色素がないので、ワインを赤くしたければ、果皮の色素を果汁に移さなきゃいけない。だから果皮を浸けておくマセラシオン(浸漬)の時間が必要なんですよね。
ところがこの時代は、収穫したぶどうを畑でたらいに入れて足で踏んで、もうこの場で大まかに液体と固形分を分けてしまうんです。だから、黒ぶどうを使っていてもワインが赤くならない、雑な言い方をすると、シャンパーニュのブラン・ド・ノワール状態ということです。
赤ワインが生まれた理由は「キリストの血」に近づけたいという動機があったから
多くの人の好みに合うかどうかで言えば、もうワイン作りが始まって最初の数十年でこの場所は有名なワイン産地になっていました。だから、おいしさのために赤ワインが生まれたわけではありません。
カトリックのミサに使われるワインとしての質の向上、赤くしたかったということです。
カトリックにとってのミサとは
パンとワインがイエスの体と血に変わること(聖体変化)と、それを信徒が分け合うこと(聖体拝領)です。カトリックの修道院では毎日ミサを行う、つまりそれは最後の晩餐を再現ですけれども、今もここにキリストがいるということを実感することで信仰を保持しています。
ミサは信仰の根幹です。だから、ミサでキリストの血になっていくワインというものの質に、修道士たちがぐーーーっと集中していくんです。
1098年にシトー修道院が生まれ、修道士たちは自分たちで畑で働いて、当時最新の科学書を読み、栽培と醸造を繰り返すことでワインの質を高めました。
シトー修道士の動機
キリストの血、その色に近づけたい!という使命感や信仰心が転じた動機なのか。とにかくどうしても血みたいな赤いワインが作りたくて出来上がったのが、ブルゴーニュにおける赤ワインです。
この色を表現するために修道院の区画では、ピノ・ノワールだけを単独で栽培する。そして、醸造中にマセラシオンするようになりました。
それは、大きな屋根のある建物を作り、大きな醗酵槽と大きなプレス機を置いた、つまり、醸造所が生まれたということでもあります。言葉と動機が知識を伴って、技術や設備に乗り移っていって、実際に思い描いたワインができるのが面白いです。
ですからシャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョは、ブルゴーニュにおける赤ワイン誕生の象徴でもあるんですよね。屋根の形とか、控えめでめちゃくちゃかっこいいです。
今日の話を無理矢理まとめると
言葉と強い動機があると、ワインって生まれるんだなってことですよね。だから、今日はこの記事をご覧のワイン生産者さんたちに、(多くのワイン生産者さまに閲覧いただいているようで恐縮です)もちろんヴァン・ナチュールに限らず、こういうワインを作りたい!を実現してもらって、もう実現されてる方もたくさんいらっしゃいますが、その美味しいワイン飲みたいぜという、皆様の心の中にすでにある大きな情熱の炎に追加で燃料を放り込む危険な回でした。
そして、我々ソムリエさんたちはその一本一本のワインの面白さを、お客さまたちにどんどん届けてるぜってことで、日本ワインがすげーことになってるのを飲みながら楽しんでます。
こちらが音声版『宇宙ワイン』です。