留学をしたはじめの年、私はボーヌにあるcfppaという学校でぶどう栽培とワイン醸造を学んでいた。カリキュラムはドメーヌでの就労にとって非常に実用的で、1年を通して希望のドメーヌでの研修と、校内での座学を並行しておこなうものだった。
実践と理論、理論と実践、どちらが先になっても後になっても理解が深まるとても有意義な時間割で、剪定はとくに重要なこともあっておおくの時間が割かれていた。しかも複数の先生が理論と実践の両方の授業をおこなったことは興味深かった。同じ剪定方法でも、切る人によって残す枝がちがうからだ。
いくつもの選択肢がある場合、切る人によって優先順位がちがうため、選ぶ枝がかわってくる。学校の所有しているぶどう畑は、毎年、初心者の生徒によって剪定されているため、複雑の極みといって過言ではない。選択肢がありすぎる。理想的な見本となるぶどう樹が見当たらないのだ。でも、だからこそ、おおくの価値観を学ぶことができた。
剪定の単元の終わりには、数本のぶどう樹をguyot simpleギュイヨ・サンプルに剪定する実践のテストがあった。先生たちの前で、そのぶどう樹を観察・解説しながら切っていくというものだ。私は、1本のぶどう樹に対してそれぞれ5通りの切り方とその理由を説明し、そのなかで自分の最も好みの方法で剪定した。
先生たちには大変な高評価をいただき、その採点の場でも先生たちは自らの選択を語りに語り、剪定への興味は深まるばかりだった。その後も授業や研修先、またアペリティフの席などで機会があれば剪定の話をなるべくおおくの人から聞き出した。剪定が大好きだという人ばかりだった。
またあの試験があったなら、20通りの切り方を提案できそうだと思ったし、同じ枝を選択しても、幾通りもの理由を加えることができるとも思った。剪定が面白かった。
テストのあと、研修先のドメーヌで剪定をすることになった。しかもそれは、私がもっとも好きな1級畑の区画だった。今度の収穫・醸造で、私が剪定したぶどう樹のぶどう房がワインになるということではないか。その朝は雪が散らついていたけれど、興奮し、暑さを感じていたことを覚えている。
ところが、切りはじめて数本でその区画のぶどう樹の大部分が、あまりにも樹勢の低くい状態になっていることに驚いた。そして、この区画のワインの特徴を言い表すことができるのに、この区画のぶどう樹がどんな状態なのか、その時まで興味を持っていなかった自分にも驚いた。このぶどう樹が恵むぶどう房が、あの毎年のワインになっているのに。
収穫の時にその区画のぶどう房を手にした時より、醸造中にピジャージュした時より、熟成中のウイヤージュの時より、根源的にこの区画のワインに触れている気がした。
1本いっぽんを丁寧に観察して、樹勢を回復させるよう残す枝を選ぶのは、当時の経験値ではとてもむずかしかった。そして、自分にとって大切な区画であることも手伝って、緊張してなかなか作業が進まない。剪定が面白いと思っていたわくわく感などもうどこかに行ってしまった。質問しよう。
その日一緒に畑にいたのはドメーヌの社員3人だった。彼らの切ったぶどう樹をみると、3者3様にぶどう樹の生命力を底上げしてやろうという意図があらわれていた。
でも剪定された樹の理解はできても、自分で観察して、方針を立てて、切ることは難しかった。その区画のぶどう樹は、大好きなワインになるぶどうを恵む、樹勢が下がっている、自分の何倍も長く生きている命だった。
彼らは学校で習ったことと同じ、基本的なことを手順を踏んで教えてくれた。早い話が、剪定方法に則って(この時この畑はguyot simpleギュイヨ・サンプルが採用されていた)切るだけだった。
記事の中で紹介しているような樹勢を回復する剪定方法も教えてくれたけれど、樹勢が下がっていても、結局、基本に則って切るしかない。それだけ剪定方法というものは完成されているのだ。剪定方法そのものが、自分1人だったら絶対にみつけられない観点や概念を気づかせてくれる。先人すごい。
ある職人は『来年、2年後、3年後、数年後、10年後、30、50、もっともっとずっと先のことまで想像して切るんだよ。来年のことしか考えないのはだめだよ。』と、すこし笑った。それを言った顔は、いつの時代の人ともとれるような表情をしていた。
ブルゴーニュのぶどう栽培の歴史を勉強するなかでふれた、絵画やイラストや写真のなかにいた中世の修道士のようにも、19世紀の人のようにも、戦中の人のようにもみえた。携帯を使いこなし、剪定ばさみも最新のもの手にしている若者のくせに、そんな覚悟を持ってぶどうの枝を切っているのか。背中の筋肉が引きつって痛かった。私はびびっていた。
自分の生きてきた年数の倍や3倍や、それ以上の時を想像するというのは、とても難しいことなのではないか。そもそもこの固い芽が、発芽する。ファンタジーか、俄には信じられない。
熱湯に塩を入れて溶かすように、その前後の差を瞬間で実感したい。その湯でほうれん草を湯掻くように、数秒後に自分の作業の結果を得たい。対して、ぶどう樹は今日の剪定で残した芽が発芽するのさえ数ヶ月後だ。いや、そもそもこんなに寒いのに春がくるのか。
しかし、私もこちらに住むようになり、くりかえし冬を迎え剪定をするごとに、くりかえし春を迎え摘芽をするごとに、様々な樹齢のぶどう樹が1年いちねん歳を重ねていることを目の当たりにすることで、数十年という時の流れを手に触れるように実感する瞬間が訪れるようになった。
自分が植えた苗木が春に発芽し、年々枝の数を増やしていく。その樹勢の強さにあわせて剪定すると、また次の年、あたらしい姿を見せてくれる。
そんなふうに段階を追いながらやっとこさguyot simpleギュイヨ・サンプルやcordon doubleコルドン・ドゥーブル、guyot poussardギュイヨ・プーサールに仕立てられるまでに生長した若いぶどう樹のとなりで、数十歳年上の樹が生きている。
自分の生きている時間が、それまでにこの樹を剪定してきた人々や、これから剪定するであろう人々の時間と交差する感覚があり、自分の生きている時間をはじめて感じたときでもあった。
ぶどう樹の命に対して影響を与えるような重大な作業をしていたつもりが、ぶどう樹が、自分の人間性のようなものに大きな影響を与えていた。ぶどう樹が私に与える影響、ぶどう樹に影響された私がぶどう樹に与える影響、やりとりは繰り返される。
あの若い職人が言った、『来年、2年後、3年後、数年後、10年後、30、50、もっともっとずっと先のことまで想像して切るんだよ。来年のことしか考えないのはだめだよ。』の意味が響いて、よくよくわかった気がした。そうか彼も、これに似た感覚を持ったことがあったんだ。
そうしてあらためてぶどう畑を眺めていると、時間そのものを見ているのだと思うようになった。苗木が植えられた年から、数十年、100年、ぶどうの樹の生長とともに、つねにぶどう樹や畑への仕事があったということでもある。
ぶどう樹に影響を与えられてきたおおくの人々がいる。そして、その人々がぶどう樹に仕事を施す。ぶどう畑で働く者の人間性とぶどう畑は影響し合う。
また別の区画で剪定中にある職人が、もしフィロキセラが存在しなかったらを妄想しはじめた。
「この村の畑ぜーんぶ古木で、300歳とか400歳の樹も
ぼこぼこあるような風景だったかもしれないわけよ。」
「そこまで歳とって、ぶどう房恵んでくれるかな。」
「どんな香りだと思う?」
「そのワイン?」
背中全体に、鳥肌がたった。
そこに北風が吹きつけて、大きなくしゃみを連発していたら
その職人もくしゃみを連発した。
「香りを想像したら鳥肌がたった。」
「おまえもか。」
爆。
台木なしのPinot Noirの300歳のvieille vigneヴィエイユ・ヴィーニュ(ぶどうの古木)の区画の実現は無理となったわけだけど、こうして真剣に剪定していれば、この区画は多くの300歳のヴィエイユ・ヴィーニュが生きる区画になるかもしれない。
この仕事の繰り返しが、数十年、100年を超えるぶどう樹の健康に必須なことは確かなのだ。
『Vieille Vigneヴィエイユ・ヴィーニュの仕立て方』を覚えるには、ぶどう樹に影響されるのが1番の近道だろうか。ぶどう樹に影響された職人が、ぶどう樹に影響を与え、そのぶどう樹が今日も新しい職人に影響を与え、ぶどう畑の風景ができている。
・・・
さて、どうしようもなく樹勢が低下していた区画がその後どうなったかというと
先日その区画を訪れると、さらに歳を重ねたヴィエイユ・ヴィーニュが、充分な枝の太さと収穫量を湛えていた。
3人いた従業員のうちの1人が、あの翌年から当主に内緒で1人だけでその区画の仕事を行っていたのだ。その職人の想像を聞いてみた。
樹勢の低くなったぶどう樹をguyot simpleギュイヨ・サンプルのままで、収穫量を確保するためにbaguetteバゲットを作り続けていたら
・アクロトニーの性質のせいで背がどんどん高くなってしまう
・細く短い枝が増え、木化しなかった枝が冬を越せず、春になっても樹液が動かずに行く行くは樹が死んでしまう
可能性が考えられる。
・春、発芽するときに使う養分の蓄えに対して、剪定・摘芽で残した芽の数が多すぎると、発芽した芽は充分な太さの枝にまで生長することができないのではないか。そのため充分な光合成ができず、翌年の分の養分も蓄えることができない悪循環になる。発芽した芽が展葉し、葉が大きく広がり、その枝を生長させられるだけの光合成をするようになるのは、もっと後のことなのではないか、と想像した。
→そこで、養分の蓄えと、剪定・摘芽で残す芽の数を釣り合わせた。
具体的には、剪定でcrochetクロッシェを2つだけにして、摘芽でsarmentサルモン(新梢)を4本に。
→多くのぶどう樹が、充分な太さの枝を生長させた。
→剪定方法をguyot poussardギュイヨ・プーサールに切り替えることで、自分が樹形の形成により積極的に関われる状況を作った。おかげで健康にまだまだ歳を重ねられるし、相応な収穫量も期待できる。もしまた樹勢が低下する事態になっても、対応しやすい。
→新梢の数を制限してた数年間で、gourmandグルモン(徒長枝)が想像より多く発芽した。理想的な位置のものを残し、crochetクロッシェになるよう数年かけて剪定した。(guyot poussardギュイヨ・プーサールのページで紹介した方法)
このようにgourmandグルモン(徒長枝)が発芽するのは、
そのぶどう樹の養分の蓄えが満ちているからと想像した。
・gourmandグルモン(徒長枝)が発芽してるのを見つけた時は、毎回感激しちゃうよ。
・収穫量は自分にとってどうでもいい。社長じゃないからね。笑。
もし、この区画を更地にすることになっちゃって、苗木を植え付けるとしたら、
数年間はまともな収穫量がないわけだからまあ、数年こうして試してみるのも悪くないでしょ。
・多くのぶどう樹の樹勢を回復させることはできたけど、想像を確かめられたとは言えないよね。
なるほど、その想像、判断、結果が科学的に証明できることなのか、それはまた別の話。コート・ド・ニュイのぶどう畑は、同じ区画内であっても環境に違いがあり、どの要因が影響して樹勢が回復したのかを厳密に確かめたり、言い切ることはできないからだ。
それでも、自分で観察して判断して、数年間ぶどう樹とやりとりをしたかった。
・区画全体で見ればかなり回復してるけど、なかなか回復しないぶどう樹もあるから、よく観察してる。
・内緒は当主にバレていない。
・あ。畑部門の部長になった。昇進すると法律的に若手の教育が許可されるんだよ。給料据え置きだけどね。爆。
やはり、ぶどう畑の仕事をするうえで、ぶどう房の質・収穫量やワインの質はどうでもいいことなのかもしれない。ぶどうの樹が健康に長生きできれば、それ以上にぶどう房の質・収穫量やワインの質を高める方法はないからだ。